1971年(昭和46年)は高度経済成長期の只中であり、日本社会にさまざまな変化が訪れた年です。
この年は環境問題や経済政策の激変、若者文化の隆盛、テレビや映画のヒットなどが相次ぎ、それらを反映した多くの流行語が生まれました。
今回は、1971年に日本で流行した言葉やフレーズをピックアップし、それぞれの背景や由来、当時の出来事との関連性、そして現代での使われ方について解説します。
社会・経済の変化を映す流行語
ドルショック(ニクソン・ショック) – 世界経済への衝撃
1971年8月、アメリカのニクソン大統領がドルと金の交換停止を発表し、それまで固定相場だったドル体制が崩壊しました。この出来事は日本では「ドルショック」と呼ばれ、人々に大きな衝撃を与えました。戦後続いた1ドル=360円の固定相場制が終わり、円は変動相場へ移行します。
日本経済も輸出入や物価に影響を受け、新聞やテレビで連日「ドルショック」という言葉が報じられたのです。当時は急な円高による景気後退も心配されましたが、その後日本経済は持ち直し、「列島改造ブーム」へ繋がっていきます。
ドルショックという言葉は歴史用語として今でも経済史の文脈で使われますが、日常会話で耳にすることは少なくなりました。
日本株式会社 – 「ジャパン・インク」と呼ばれた日本
高度成長に突き進む日本は、政府と企業が一体となって経済発展を図る姿から、海外から「日本株式会社(ジャパン株式会社)」と皮肉られました。1971年の米国での日米財界人会議において、アメリカ側から「日本はまるで一つの株式会社のようだ」と批判されたことが発端で、このフレーズが広まったのです。
当時の日本は官民挙げて輸出産業を育成し、世界における経済大国化を目指していた時期でした。「日本株式会社」はそうした日本型システムを象徴する言葉として流行語となり、経済誌や新聞で盛んに使われました。
現在でも経済評論などで時折使われるものの、当時ほど頻繁に使われる言葉ではありません。しかし、日本の経済構造を語る際の歴史的キーワードとして記憶されています。
ゴミ戦争 – 東京の「ごみ問題」が生んだ言葉
高度成長期のひずみとして深刻化したのが都市のゴミ問題です。1971年、東京都内ではゴミの埋め立て処分地を巡り自治体同士が対立し、ついに当時の美濃部亮吉都知事が「ゴミ戦争」宣言を行いました。
特に23区のゴミを引き受けていた江東区が他区からのゴミ搬入に反発し、「東京ゴミ戦争」と呼ばれる事態になったのです。テレビや新聞でも「ゴミ戦争」という言葉が大きく取り上げられ、都民は日常生活の足元にある環境問題を意識するきっかけとなりました。
この流行語はその後も各地でごみ処理を巡る争いが起きると「〇〇ゴミ戦争」と引用されるようになり、環境問題の代名詞的フレーズとして記憶されています。ただし現代では行政用語として歴史的に語られることが多く、一般の会話で使われることは少ないでしょう。
脱サラ(脱サラリーマン) – 独立起業ブームの象徴
会社勤め(サラリーマン)を辞めて自分で事業を起こすことを指す「脱サラ」が、この年一大ブームになりました。高度経済成長で蓄えられた資本をもとに、自分の店を開いたり商売を始めたりする人が増え、「脱サラ入門書」なるハウツー本が多く出版されベストセラーになったほどです。
脱サラという略語自体は「脱サラリーマン」の略称ですが、この言葉が流行したことで「脱〇〇」という言い回しも一般化しました(例えば「脱都会」「脱貧乏」などといった具合です)。背景には、会社に縛られず自分の道を進みたいという価値観の多様化や、中高年サラリーマンの早期退職希望者の増加があったとされています。当時は安定より挑戦を選ぶことが新鮮に映り、雑誌でも脱サラ成功談がよく特集されました。
現在でも脱サラという言葉は使われており、会社員から起業への転身を語る際にごく普通に登場しますが、ブームとしての熱狂は収まり、言葉自体に新鮮さはなくなりました。
男めかけ – 政治家の放った痛烈な批判
一風変わった言葉として当時話題になったのが「男めかけ」です。これは男妾(おとこめかけ)とも書き、本来は「女性に養われている情夫(ヒモ)」を意味する言葉ですが、1971年に作家で政治家の青島幸男が国会で用いたことで注目されました。青島氏は当時の佐藤栄作首相に対し「総理は財界の男めかけだ」と批判したのです。
財界に従属的だという痛烈な皮肉として放たれたこのフレーズはニュースで大きく報じられ、政治風刺として流行語になりました。当時としてはかなり刺激的な表現で、国民の記憶にも残る名台詞となっています。しかし日常的に使われる性質の言葉ではなく、その後は歴史的エピソードとして語られる程度です。
現代のメディアでも、この有名な発言を引用して政治批評をする場面以外で「男めかけ」という言葉が登場することはほとんどありません。
落ちこぼれ – 教育現場から生まれた不名誉な烙印
教育分野でもこの頃、新たな言葉が生まれました。それが「落ちこぼれ」です。高度成長に伴い高校・大学進学率が上昇する一方で、勉強についていけずに落伍してしまう生徒も目立つようになり、彼らを指して「落ちこぼれ」という表現が使われ始めました。
詰め込み教育の副作用として生まれたこの言葉は、当時の新聞や教育雑誌で教育問題を語る際によく登場し、1970年代を象徴する教育用語ともなりました。「無気力・無関心・無責任」の三無主義(さんむしゅぎ)という言葉と並んで使われ、世の中の大人たちは新世代のやる気の無さを嘆いたものです。
落ちこぼれという言い方は差別的だとの指摘もありましたが、そのインパクトから広く定着しました。現代でも学校教育の文脈で落ちこぼれという言葉が用いられることがありますが、表現がきついため、公の場では「学力不振児」などマイルドな言い換えをされる傾向があります。
若者文化・世相を反映した流行語
しらけ(シラケ) – 若者たちの冷めた心情
1960年代末の学生運動の盛り上がりから一転、70年代に入ると一部の若者たちは物事に白けた(興ざめした)態度を取るようになりました。この「しらけ」という言葉は、そうした若者文化・世相を象徴するキーワードです。
「しらける」という動詞自体は古くからありますが、1971年前後に「シラケ世代」という言葉が登場し、「何事にも熱くなれず冷めた視線で見る若者たち」を指すようになりました。学生運動が挫折した後の空虚感から生まれたとも言われ、当時の若者の無関心・無気力さを表現する流行語となったのです。さらに「無気力・無関心・無責任」の“三無主義”という言葉も流行し、シラケ世代の特徴として語られました。
しらけという表現はその後も定着し、現在でも場の雰囲気が冷めてしまった時に「シラケちゃったね」などと言うように、日常語として生き残っています。ただし「シラケ世代」という世代呼称は、その世代が過ぎ去った今では歴史的な用語となっています。
フィーリング – 感覚や相性を重視する風潮
「フィーリング」は英語の feeling から来たカタカナ語で、「感覚」「感じ」「相性」といった意味合いで使われます。1970年代初頭、この言葉が日本で流行語となったのは、人々(特に若者)の間で理屈よりも雰囲気やノリを重視する風潮が高まったためです。
「君と僕とじゃフィーリングが違うね」といったセリフがテレビドラマや若者同士の会話で飛び交い、雑誌でも「フィーリングの合う相手」などという表現が使われました。男女の相性や友人との「ウマが合う・合わない」をフィーリングというカタカナ語で言い表すのがおしゃれに感じられたのです。背景には、個人の感性や直感を尊重する価値観が芽生えたことがありました。当時は恋愛観にも変化が起き、「フィーリングが大事」といった言い回しが若者文化を代表しました。
現在ではフィーリングという言葉自体は一般語として定着していますが、流行語としての新鮮味は薄れています。「フィーリングが合う」という表現も今や普通に使われるようになり、当時ほど特別なおしゃれ言葉ではなくなりました。
アンノン族 – 女性旅行ブームを象徴する新ライフスタイル
1970年前後から、若い女性たちの間で新しい旅行ブームが起こりました。平凡出版の女性雑誌『an・an』(アンアン)と集英社の『non-no』(ノンノ)が次々創刊され、ファッション情報だけでなく全国各地のおしゃれな観光地を紹介したことで、女性の一人旅・少人数旅が大流行したのです。雑誌 「an・an」 と 「non-no」 を小脇に抱え、それに掲載された鎌倉や京都、倉敷などのスポットを巡る女性たちが現れ、彼女たちは「アンノン族」と呼ばれました。この言葉は雑誌名に由来する造語で、当時は女子旅の代名詞として定着しました。
背景には、1970年の大阪万博終了後に国鉄が始めた大型旅行キャンペーン「ディスカバー・ジャパン」の成功もあります。国鉄は個人旅行客を増やすために大胆な宣伝を行い、それが若い女性の観光熱に火をつけたのです。アンノン族はその象徴で、彼女たちの存在は各地の観光業界にも影響を与えました。当時の観光地は若い女性向けのサービスを充実させるようになり、一種の社会現象となりました。
この言葉自体は80年代以降あまり聞かれなくなりましたが、現在でも当時を振り返る際に「アンノン族」という表現が用いられることがあります。また、雑誌『an・an』『non-no』は現在も発行されていますが、読者層や内容は時代とともに変化しており、「アンノン族」という言葉は歴史的なライフスタイル用語となっています。
ラブ・ピース(Love & Peace) – 平和の象徴とスマイルバッジ
1971年当時、世界的なヒッピームーブメントやベトナム反戦運動の影響が日本の若者文化にも及んでいました。その中で登場したのが「ラブ・ピース」という言葉です。これはもともと Love & Peace(愛と平和)を意味し、反戦のスローガンや象徴として使われたフレーズでした。
アメリカで流行した丸に鳩の足跡のようなピースマーク(平和の象徴マーク)が日本にも伝わり、若者に広まります。当時、胸に黄色いスマイルマークのバッジ(ニコちゃんマーク)を付けて歩く若者も多く見られました。これは平和と愛を願うヒッピー文化の影響で、日本でも「ラブ&ピース」の精神がファッションとして受け入れられた例です。
もっとも、日本で「ラブ・ピース」という言葉自体が単独で会話に出ることはそれほど多くなく、主にピースマークやスマイルバッジの流行現象を指して語られました。当時の子供たちから大学生まで、平和の象徴であるピースマークが付いた雑貨やアクセサリーが人気を博し、「ラブ&ピース」が一つの合言葉のようになっていたのです。
現代でもLove & Peaceは普遍的なスローガンですが、日本における一過性のファッショントレンドとしてのラブ・ピースブームは、まさに1971年前後の時代を感じさせるエピソードです。
テレビ・映画・広告から生まれた流行語
「愛とは決して後悔しないこと」 – 映画『ある愛の詩』の名ゼリフ
1971年に日本で公開されたアメリカ映画『ある愛の詩(Love Story)』は大ヒットし、その劇中のキャッチフレーズ「愛とは決して後悔しないこと」が流行語になりました。このフレーズは映画の宣伝コピーとして使われ、主人公のセリフでもある印象的な言葉です。
当時、多くの若者がこのロマンチックな言葉に胸を打たれ、日常会話や卒業文集の言葉に引用する人もいたほどでした。「愛とは…」で始まるこの名ゼリフは純愛の象徴として語り継がれ、現在でも恋愛映画の名キャッチコピーとして有名です。
実際、「昔流行った恋愛フレーズ」として紹介されることもあり、昭和を代表するラブストーリーの決め台詞として記憶されています。ただ、現代の若い世代の日常会話でこの「愛とは決して後悔しないこと」を使うことはまずありません。あくまで映画の名言として歴史に残る言葉と言えるでしょう。
「これにて一件落着」 – 時代劇ヒーローの決め台詞
テレビの世界から生まれた流行語として忘れてはならないのが、「これにて一件落着」です。これは日本テレビの時代劇『遠山の金さん捕物帳』で、遠山金四郎役の中村梅之助が事件解決の最後に放つ決め台詞でした。「一件落着」とは「事件が落ち着いた」、つまり「解決した」という意味ですが、劇中では印籠のようにバシッとこの言葉で締めくくるため、視聴者に強い印象を残しました。
子供たちは遊びで犯人ごっこをするとこのセリフを真似し、大人も何か物事が無事終わった時に冗談めかして「これにて一件落着!」と言うなど、広く使われるようになりました。当時の流行語となった理由は、その言いやすさと爽快感にあります。現在でもこの言葉は決まり文句として知られ、事件もののドラマのパロディや日常のオチとして耳にすることがあります。
例えば仕事のプロジェクトが完了した時に「一件落着だね」と言うなど、日常語としても定着しました。もともとは時代劇から出た古風な表現ですが、「これにて一件落着」は昭和のテレビ文化を伝える懐かしいフレーズとして今なお生きています。
「変身!」 – 『仮面ライダー』ごっこで大流行
1971年といえば、日本初の本格特撮ヒーロー番組『仮面ライダー』がスタートした年でもあります。主演の藤岡弘さん演じる本郷猛が「ライダー変身!」の掛け声とともに仮面ライダーに変身するシーンは子供たちに熱狂的に受け入れられました。
特に「ヘンシン!」という叫びは幼稚園児から小学生までが真似し、公園や空き地で仮面ライダーごっこをする子供たちの掛け声として流行語になったのです。番組の爆発的人気によって「変身ポーズ」が社会現象化し、大人も「変身」の一言で当時のブームを思い出すほどでした。
石森章太郎原作のこのヒーローはその後シリーズ化され、「変身!」の掛け声も仮面ライダーシリーズの伝統として受け継がれていきます。現代でも新しい仮面ライダーが登場するたびに変身シーンがありますが、1971年当時の「変身!」ブームは元祖として語り草です。今なおヒーローものや特撮番組の代名詞的フレーズであり、日本人にとって「変身!」と言えば仮面ライダー、というイメージが根強く残っています。
「ピース、ピース」 – お茶の間を沸かせたVサイン
写真撮影の時につい「ピース」してしまう――そんな日本の独特の習慣のルーツの一つが、1971年の「ピース、ピース」ブームです。当時、歌手でタレントの井上順がテレビ番組の司会などで両手でVサインを作り「ピース、ピース!」と連呼したことから、このポーズと言葉が大流行しました。
井上順は明るいキャラクターで人気者だったため、子供から大人まで真似をし、写真を撮る時や挨拶代わりに「ピース!」と指でVを作るのが定番に。元々Vサイン自体は戦勝を意味するピースサインで、欧米では「平和」の象徴でもありましたが、日本ではこの年以降「写真撮影ではピース」がすっかり定着しました。背景には先述のLove & Peaceムーブメントの影響もあり、平和の象徴であるVサインをおどけて使う明るさが受け入れられたとも言えます。
当時の流行語としての「ピース、ピース」はさすがに現在聞かれなくなりましたが、「ピースする」という動詞的な使われ方(写真でピースサインをすること)は今の若者言葉にも残っています。まさに1971年発の文化が形を変えて続いている例と言えるでしょう。
「がんばらなくっちゃ」 – CMソングから生まれた元気フレーズ
1971年、中外製薬の栄養ドリンク「新グロモント」のテレビCMで流れたコミカルな歌が評判となりました。その中の歌「ガンバラナクッチャ」(=がんばらなくちゃ)が耳に残るフレーズとして流行語になったのです。このCMソングは軽快なメロディーに乗せて「○○しなくっちゃ、ガンバラなくっちゃ♪」と繰り返す内容で、子供から大人まで口ずさむ人が続出しました。
当時、この言葉は「もっと頑張らないといけない」という前向きさとユーモラスな響きを兼ね備えており、日常会話でも「勉強ガンバラなくっちゃ」などと冗談半分に使われました。「がんばらなくちゃ」は元々普通の日本語ですが、「ガンバラナクッチャ」という少し崩した言い方が流行した点に時代を感じます。CM効果で生まれたこの言葉は、同年の新語流行語として取り上げられるほど話題になりました。
現在でも「頑張らなくちゃ」という表現自体はもちろん使われていますが、語尾をカタカナ交じりで「~なくっちゃ♪」と表現するのは懐かしい昭和の雰囲気があります。当時を知る世代にとっては、今でもどこかでこのフレーズを耳にするとあのCMソングを思い出してしまうかもしれません。
「ハヤシもあるでよ」 – 名古屋弁CMの愉快な決めゼリフ
1960年代末から70年代にかけて放映されたオリエンタル即席カレーのテレビCMで、生まれた名言が「ハヤシもあるでよ」です。名古屋出身の俳優・南利明が演じるコミカルなキャラクターが、ライバルのボンカレーに対抗して「カレーだけやない、ハヤシライスもあるんやで(あるよ)」という意味でこの台詞を発しました。濃い名古屋弁で「あるでよ~」と語尾を伸ばす言い方が妙に耳に残り、CMの人気と相まって全国に知れ渡りました。
南利明にとっても代名詞的なフレーズとなり、1971年には雑誌の対談記事のタイトルに「優勝もあるでヨ」と引用されるなど、応用形も登場しています。こうした経緯から、「○○もあるでよ」という言い回しが当時ちょっとしたブームになりました。何かを紹介するときに冗談めかして方言風に「~もあるでよ!」と言うのが流行ったのです。
現在ではこのフレーズを直接使うことはまずありませんが、昭和のユーモア溢れるCMの例として語り継がれています。名古屋弁の柔らかい響きもあって、当時を知る人にとっては思わずクスッとする懐かしい言葉でしょう。
「古い奴だとお思いでしょうが…」 – ヒット曲が生んだ渋い名文句
1971年の大人の流行語として特筆すべきは、鶴田浩二が歌った流行歌『傷だらけの人生』の冒頭セリフ「古い奴だとお思いでしょうが…」です。この歌は1971年公開の同名映画の主題歌でもあり、鶴田浩二が渋い語り口でこのセリフを呟いてから歌い出すという構成でした。そのインパクトから、発売年の年末には有線大賞を受賞し、人々の記憶に強く残ることになります。
特に「古い奴だとお思いでしょうが」で始まる一連の台詞は、年配の男性を中心に流行り、居酒屋談義などで真似して語り出す人が続出しました。「古い奴こそ新しいものを欲しがるものでございます…」と続く歌詞は、自嘲的でありながら味わい深く、当時の流行語大賞的存在となったのです。中学生くらいの子供でも面白がって物真似していたとの証言もあり、世代を超えて知られたフレーズでした。
現在ではこのセリフ自体を知る若者は少ないかもしれません。しかし、昭和の名曲・名ゼリフとしてテレビ番組で取り上げられることもあり、年配世代には今なお「古い奴だとお思いでしょうが」と言えば鶴田浩二、というイメージが浮かぶほど定着しています。
「書を捨てよ、町へ出よう」 – 寺山修司が投げかけたメッセージ
前衛的な劇作家・詩人である寺山修司が1971年に発表した言葉「書を捨てよ、町へ出よう」も、この年ならではの流行フレーズです。これはもともと寺山修司が主宰する劇団・天井桟敷が上演した演劇のタイトルであり、同年に同名の映画も公開されました。直訳すれば「本なんか捨てて街に出て行け」という挑発的なメッセージで、閉塞した状況から抜け出し自己解放せよ、と若者に訴えかける内容でした。
このフレーズはカウンターカルチャーを象徴する言葉として当時話題となり、知的な若者層に強い影響を与えました。「書を捨てよ~」の語呂の良さから、後には「恋人を捨てて旅に出よう」などといったパロディも生まれ、様々な場面で引用される流行語となったのです。実際、○○を捨てて○○へ行こう、という構文は現在でもコピーライティングの手法として使われることがあります。
当時この言葉に触発されてヒッチハイクの旅に出た若者もいたと言われ、1971年という時代の空気を反映した挑発的な名言でした。現代では「かつてこんなタイトルの本(映画)があった」という紹介で耳にする程度ですが、サブカルチャー史に残るフレーズとして語り継がれています。
昭和46年(1971年)に流行した言葉の数々をご紹介しました。政治・経済から生まれた硬派なものから、若者文化を反映したカジュアルなもの、テレビや音楽が生んだキャッチーなフレーズまで、その多彩さに驚かされます。当時の社会背景や人々の関心事を映し出す流行語は、まさに時代の鏡でした。
現在でも生き残っている言葉もあれば、当時を物語る懐かしい死語となったものもあります。しかし、それらを知ることで1971年という時代をより深く楽しみながら学べるのではないでしょうか。当時を経験した方には懐かしく、知らない世代にとっては新鮮なこれらの言葉を通じて、昭和46年の空気感を感じていただければ幸いです。
参考文献・情報源
昭和流行語グラフィティ、現代風俗史年表、Wikipediaその他各種資料など。