1969年(昭和44年)の流行語とその背景

昭和44年(西暦1969年)は、人類初の月面着陸に世界が沸き立つ一方で、大学紛争やベトナム反戦運動など社会が揺れた年でした。

そんな激動の1969年、日本では世相を反映した数々の流行語が生まれました。

本記事では、昭和44年に流行した言葉やフレーズを深掘りし、それぞれの背景(社会的・文化的文脈)やルーツ(起源)、当時の出来事との関連性、さらに現代での使われ方についてまとめます。

テレビ・映画から生まれた流行語

まずは、1969年当時のテレビ番組や映画で誕生し、流行語となったフレーズを見てみましょう。

当時はテレビが家庭に普及し始めた時代で、バラエティ番組や映画のセリフがそのまま日常会話に取り入れられるケースが増えていました。

アッと驚くタメゴロー

アッと驚くタメゴロー」は、1969年10月放送開始の日本テレビの人気バラエティ番組『巨泉・前武ゲバゲバ90分!』で、クレージーキャッツのハナ肇(はな はじめ)さんが演じたギャグです​。ヒッピー姿の中年男性に扮したハナ肇さんが突然現れ、「アッと驚くタメゴロー!」と叫ぶシュールな一発芸で、番組内のコントとコントの合間をつなぐVTRとして毎回登場しました。

この演出は、当時のヒッピー文化と最新ガジェット(彼の横には最新式のソニーの小型テレビが置かれていた)を組み合わせて笑いを取る狙いがあったそうです。意味自体は特になく「ナンセンス」で、意表を突くフレーズとして視聴者の記憶に焼き付きました​。

このフレーズのルーツは、アメリカNBCの人気番組『ラフ・イン (Laugh-In)』に登場するギャグキャラから着想を得たもので、日本版にアレンジされたのが「タメゴロー」だったと言われています。番組のヒットに伴い、「アッと驚くタメゴロー」は流行語として子どもたちの間でも連呼されるようになり、後には同名のコミックソングや映画シリーズまで作られました。まさにテレビ発の流行語として社会現象化した例です。

やったぜ、ベイビー

やったぜ、ベイビー」は、テレビ司会者の大橋巨泉(おおはし きょせん)さんが生放送番組の司会中によく使っていた決めゼリフです。何か物事がうまくいった瞬間やクイズに正解した場面などで、大橋巨泉さんが嬉しさを込めて「やったぜ、ベイビー!(やったぞ、すごいだろ、という意味合い)」と陽気に叫ぶ姿が視聴者の心に残り、流行語となりました。

背景には、当時の大橋巨泉さんのキャラクターがあります。ジャズ好きで洒脱な巨泉さんは英語のスラングを巧みに取り入れ、「ベイビー(baby)」といった言葉を違和感なく使いこなしていました。これは60年代後半の日本におけるアメリカ文化への憧れやカウンターカルチャーの影響とも言えます。巨泉さんが軽妙なトークで「やったぜ、ベイビー」を連発することで、お茶の間にもそのフレーズが浸透していきました。巨泉さんの持ちギャグ的な言い回しが広まり、1969年を代表する流行語になりました。

巨泉さんは当時、『11PM』やクイズ番組など数多くの番組を抱えており、彼の明るいキャラクターは高度経済成長期の高揚感ともマッチしました。「やったぜ、ベイビー」は、そうした時代のポジティブな空気を象徴するフレーズとも言えるでしょう。

それをいっちゃー、おしまいよ

それをいっちゃー、おしまいよ」は、1969年公開の映画『男はつらいよ』で主人公の車寅次郎(寅さん)が放つ名セリフです。寅さんが家族と言い争いになった際、痛いところを突かれてしまい、「それを言っちゃあ、おしまいよ!」と吐き捨てるシーンがお馴染みで、シリーズを通して繰り返し使われました。直訳すれば「それを言ったら終わりだよ」という意味で、「身も蓋もないことを言うな」「言わない約束でしょう」というニュアンスを持ちます。

『男はつらいよ』は1969年に第1作が公開されると大ヒットし、以後昭和を代表する長寿映画シリーズとなりました。主人公・寅さんの人情味あふれるキャラクターと言い回しが人気を博し、その口癖である「それをいっちゃー、おしまいよ」もまた一般に広く知られるところとなったのです。当時、このセリフは流行語としてもてはやされ、日常会話でも冗談めかして使う人が続出しました。「それを言ったら元も子もないよ」というツッコミとして使えるため、汎用性が高かったことも一因でしょう。

この言葉自体は映画のオリジナル脚本で生まれたもので、主演の渥美清さんが演じる寅さんのキャラクター性を端的に表すフレーズでした。シリーズを通じて繰り返し登場するうちに、観客にも「寅さんといえばこのセリフ」と刷り込まれていきました。

1969年はテレビでも映画でも庶民的なコメディが人気を集めており、テレビではザ・ドリフターズの『ドリフ大爆笑』などナンセンスギャグが流行していました。寅さんの人情コメディはそうした中で映画というフィールドで支持を集め、「それをいっちゃー、おしまいよ」はテレビ世代にもウケる分かりやすいユーモアとして受容された面があります。

CM・広告発の流行語

1969年はテレビCMの世界でも画期的なフレーズが生まれ、人々の記憶に残りました。高度成長期、日本企業は斬新なコマーシャルで商品の宣伝に力を入れ、そのコピーがそのまま流行語になる例も出てきます。ここでは広告から生まれた代表的な流行語を紹介します。

オー、モーレツ!

オー、モーレツ!」は、1969年に放映された丸善石油(現コスモ石油)のハイオクガソリン「100ダッシュ」のテレビCMで使われたキャッチコピーです​。モデルの小川ローザさんが猛スピードで走る車の風圧で真っ白なミニスカートをまくり上げられ、「Oh! モーレツ」と叫ぶインパクト抜群の内容で、一躍話題になりました。「モーレツ」は「猛烈」、つまり「すごい!」という意味ですが、英語交じりの「オー、モーレツ!」という発音が新鮮で、視聴者に強烈な印象を残したのです。

このCMは当時としては刺激的な映像だったこともあり、放送されるや否や大きな反響を呼び、流行語としても大ブームになりました。「オー、モーレツ!」は子供たちの間でもウケて、なんと女の子のスカートをめくる遊び「モーレツごっこ」まで流行してしまったほどです(※もちろん現在では許されない悪ふざけですが、当時はそれだけ無邪気に真似する子供がいたという時代背景です)。小川ローザさん自身もこのCMで一躍有名になり、「オーモーレツの人」として記憶されることになりました。

このコピーが生まれた背景には、高度経済成長期のエネルギッシュな世相があります。1960年代後半、日本は「モーレツ社員」といった言葉が示すように仕事にも遊びにも猛烈に打ち込む熱気に満ちていました。「オー、モーレツ!」という叫びは、そんな時代の勢いを象徴するかのように受け取られた面もあります。また、一方でミニスカートや露出の多い表現がテレビCMに登場し始めた時期でもあり、保守的な層から「ハレンチ(※後述)」と批判を受けつつも、若い世代には痛快で新しい表現として受け入れられました。

広告代理店が生み出したCMコピーですが、その元ネタとして英語圏の表現「Oh!」を付けた点や、「猛烈」という言葉選びにセンスが光ります。当時の広告クリエイターたちは、印象に残るフレーズを求めて試行錯誤しており、「はっぱふみふみ」など他にも実験的コピーが生まれています(「はっぱふみふみ」については後述)​。

「クリープを入れないコーヒーなんて…」

もう一つ、1969年のCM由来の流行フレーズとして忘れてはならないのが、森永乳業のコーヒー用クリームパウダー『クリープ』の広告コピー「クリープを入れないコーヒーなんて…」です。CMでは最後に女性ナレーションが「クリープを入れないコーヒーなんて」とつぶやくだけで終わる不思議な構成でした。視聴者はその続きを想像させられる形になり、「~なんて、○○のようなものだ」という言い回しが人々の間で流行します。

実際に広告で提示された続きのフレーズとしては、「星のない夜空のようなもの」や「翼のない鳥のようなもの」といった比喩が使われたそうです​。つまり、「クリープなしのコーヒーなんて○○のない△△のようなものだ」という形で、「欠かせないものが無い状態」の例えとして使われたのです。これが視聴者の心に残り、日常会話でも「◯◯のない△△なんて、□□みたいなものだよね」といったパロディ表現が広まりました。

このコピーが話題になった背景には、当時の日本社会で欧米風の洒落た言い回しがもてはやされたことがあります。「夜空に星がない」「鳥に翼がない」といったロマンチックな比喩は、それまでの日本の宣伝にはなかったスタイルでした。また、インスタントコーヒーやクリームパウダーといった新しい嗜好品が普及し始め、人々の暮らしが豊かになっていく中で生まれたキャッチコピーでもあります。

「クリープを入れないコーヒーなんて」というフレーズ自体が一種の決まり文句となり、1969年当時は他のものごとについて「あれが無い〜なんて…」と応用するジョークが流行しました​。たとえば「君のいない夏休みなんて…」のように使うことで、「それくらい○○は大事だ」というニュアンスを伝える表現として定着したのです。

はっぱふみふみ

はっぱふみふみ」は、一見意味不明なこの言葉も1969年に流行しました。パイロット萬年筆の新製品「エリートS」のテレビCMで、大橋巨泉さんが早口で朗読するように発したフレーズです。全文は「みじかびの きゃぷりきとれば すぎちょびれ すぎかきすらの はっぱふみふみ」とかなりのナンセンス詩でしたが、これが視聴者の強い関心を引き、大流行したのです。

実はこのセリフ、大橋巨泉さんのアドリブだったとされています。CMプランナーも狙った「実験的」な試みで、言葉を意味ではなく音の響きとして捉えさせる新しい手法でした。当時人気絶頂だった巨泉さんの軽妙な語り口と相まって、視聴者は何だか分からないけれど面白い!と感じ、真似して口ずさむ人が続出しました。商品の高級感ある万年筆を身近に感じさせる狙いもあったと言われます。

「はっぱふみふみ」は、その意味不明さ自体がウケてしまい、子どもから大人までが面白がって真似しました。テレビのバラエティ番組でもネタにされたり、巨泉さんのモノマネをする際の定番フレーズになったりと、広告の枠を超えて一人歩きした感があります。このCMは「日本のCMのあり方を変えた一本」と評価されるほど広告史に残る出来事で、従来の常識にとらわれない発想が視聴者に受け入れられた象徴と言えます。

広告クリエイターの間では伝説的なコピーとして語り継がれています。実際の言葉として日常で使う場面は皆無に近いものの、「意味のない言葉が流行語になった例」としてマーケティングの教材に出てきたり、昭和レトロな話題としてメディアで紹介されることがあります。当時このフレーズを連呼していた子どもたちも、今ではいい大人になっていますが、「あの頃はあんなナンセンスな言葉が流行ったんだよ」と笑い話にされることもあるでしょう。それもまた、平和で活気ある昭和40年代の一コマだったのです。

若者文化・社会を反映した流行語

次に、1969年当時の若者(学生)言葉や、時代の風潮を反映したキーワードを見ていきます。この年は大学紛争がピークを迎えた時期であり、学生運動や若者文化から生まれた言葉が世間の注目を集めました。また、社会状況を言い表す新語も登場しています。

シコシコ

シコシコ」は、本来は物を擦る音などを表す擬音語ですが、1969年前後の学生たちはこれを「こつこつ」「地道に」「細々と」という意味で使いました。つまり、「シコシコ勉強する」といえば「地道に努力して勉強する」といったニュアンスです。当時の学生俗語の一つで、真面目にコツコツ取り組む様子を茶化して表現したものと言われます。

60年代後半の学生運動の中には勉強そっちのけで活動にのめり込む学生も多く、「シコシコ勉強しているやつ」はやや皮肉を込めた呼び方でもありました。一方で、大学闘争などで授業が停滞する中、自主的に「シコシコ」学問に励む学生もいたはずです。この言葉が流行語に挙がるということは、学生文化への関心が高まり、彼らの使う俗語にも世間が注目していた証拠でしょう。

語源は定かではありませんが、日本語の擬音「しこしこ」からの転用です。語感の面白さから広まったと考えられ、特に明確な出典や初出媒体があるわけではなさそうです。

「シコシコ」は現代では主に麺の食感を表現する言葉として使われます(「シコシコした讃岐うどん」のように)。そのため、「地道に」の意味で使われた歴史を知らない若者も多いでしょう。1969年当時の用法はすでに死語となっており、その意味で使う人はいません。ただ、昭和世代の中には懐かしんで「昔はコツコツやることをシコシコって言ったんだよ」なんて語る人もいるかもしれません。

チンタラ

チンタラ」は、「ぶらぶら」「もたもた」といったのんびりしすぎた様子を指す俗語です。もともと鹿児島の方言や焼酎製造の俗語に由来し、「時間がかかるさま」を表す言葉ですが、昭和40年代には学生を中心に「チンタラするなよ(ぐずぐずするな)」というように全国的に使われるようになりました。1969年にはこの言葉も流行語としてピックアップされており、当時の若者言葉が世間に広がっていたことがうかがえます。

高度成長期でテンポの速い社会において、「チンタラしている」人や物事はもどかしさの対象でした。学生運動でも行動が遅い仲間に「お前チンタラするな」と発破をかけたりする場面があったのかもしれません。いずれにせよ、「効率的・迅速」がもてはやされる空気の中で、その対極を揶揄する言葉として使われていたと考えられます。

語源には諸説あり、江戸時代に焼酎をポタポタと垂らして作る「チンタラ蒸留」という手法から来ているとも言われます。そこから「時間がかかる様子=チンタラ」となり、俗語化したようです。学生たちはそれを知ってか知らずか、「だらだらしている」という意味で気軽に使っていました。

「チンタラ」は現在でも口語表現として残っています。「仕事がチンタラしすぎだ」などと言えば年配には通じますし、日常会話でも耳にすることがあります。ただし若い世代にはやや古めの表現に感じられるようで、公の場ではあまり使われません。少なくとも1969年当時のように「最新の若者言葉」として扱われることはなく、どちらかと言えば昭和の砕けた日本語として位置付けられています。

ナンセンス

ナンセンス(nonsense)」は英語由来の言葉で「無意味・ばかばかしい」という意味です。これ自体は明治時代から日本語に取り入れられていましたが、1969年前後に若者や学生が好んで使った言葉として流行語に挙がりました​。具体的には、目上の人の説教やお堅い規則に対して「そんなのナンセンスだよ!(ばかげてる)」と切り捨てるような使われ方をしたり、あるいはシュールなギャグを「ナンセンスだね」と評価したりする用法です。

1960年代後半、日本の若者文化ではナンセンスギャグが一大ブームでした。ザ・ドリフターズのコントやクレージーキャッツの映画など、従来の常識にとらわれないユーモアが受け入れられ、「ナンセンス」という言葉はそうした新しい笑いを肯定的に語る際にも使われました。同時に、旧来の権威や制度に異議を唱える学生運動の文脈では、古い体質を「ナンセンス」と斬り捨てる表現も見られ、体制批判のスラングとしても機能したのです。

英単語 “nonsense” のカタカナ英語ですが、意味的には本来の英語と同じです。当時は英語混じりの表現を使う若者が増えており、「ハレンチ」「ゴージャス」などと並んで「ナンセンス」も普通に会話に登場する英語由来の言葉となっていました。

「ナンセンス」は現在でも日本語の一部として辞書にも載っており、「それはナンセンスだ」のように使われます。ただし若者言葉というより一般的な語彙になったため、流行語感覚は薄れています。むしろ少し上の世代がきっぱり否定するときに使う硬めの印象があるかもしれません。日常会話では「意味不明」「バカげてる」といった日本語に置き換えられることも多く、頻度はそれほど高くありません。しかし「ナンセンス」という響き自体は今でも伝わるため、1969年当時を描いたドラマや漫画でキャラクターがこの言葉を発すれば、一気に時代の雰囲気を醸し出すことができるでしょう。

ワルノリ

ワルノリ(悪ノリ)」は、そのまま訳せば「悪い乗り方」ですが、俗に「調子に乗りすぎた状態」や「度を越したふざけ」を指します。当時の学生たちの間で、「あいつらワルノリしてるな」のように、羽目を外しすぎている様子を評する言葉として使われ、1969年前後に若者言葉として流行しました。

学生運動がヒートアップする中で、一部の過激な行動に対して「ちょっとワルノリしすぎではないか」とたしなめるニュアンスや、逆に羽目を外してどんちゃん騒ぎする若者同士で「今日はとことんワルノリしようぜ!」と盛り上がる場合など、ポジティブ・ネガティブ両面で用いられていたようです。要は「調子に乗る」ことの俗な言い方であり、若者らしい砕けた表現として受け入れられました。

「悪乗り」という言葉自体は昔からありますが、それを短縮した俗語形が「ワルノリ」です。1969年当時はカタカナ表記で新鮮味を出していたとも考えられます。学生運動に批判的な大人達から「学生が悪ノリして騒いでいる」と報じられたケースもあったかもしれませんが、基本的には学生発のスラングとして世間に浸透しました。

「悪ノリ」は今でも日常的に使われる言葉です。「悪ノリする」「悪ノリが過ぎる」といった表現は若い人から年配まで通じます。ただし、もはやそれは1969年当時のような尖った若者言葉ではなく、定着した日本語表現の一つです。したがって流行語としての鮮度は失われていますが、「つい悪ノリしてしまった」と自己反省したり、友人間で「お前ら悪ノリしすぎ(笑)」と言い合ったり、形を変えず生き残った言葉と言えるでしょう。

断絶の時代

断絶の時代」は、1969年に出版されたアメリカの経営学者ピーター・ドラッカーの著書のタイトルです​(原題 The Age of Discontinuity)。この言葉がそのまま日本で流行語となり、当時の世相を表現するキーワードとして使われました。

「断絶の時代」とは、ドラッカーが著書で述べたように、技術革新や価値観の変化によってこれまでの延長線上にない不連続(断絶)な変化が起きる時代、という意味です​。1969年前後はまさにそれを象徴するような激動期でした。学生運動による世代間の断絶、公害問題の深刻化やベトナム戦争などによる価値観の断絶、そして人類の月面着陸のようなブレイクスルー――様々な面で「古い時代との決別」が語られたのです。

日本においても、このフレーズは知的な流行語として広まりました。新聞や雑誌で識者が「いまや断絶の時代である」と論じたり、若者たちも「我々若い世代は旧来の大人とは断絶の時代にいるのだ」と語ったりしたことでしょう。実際、1969年のベストセラーランキングでも『断絶の時代』は上位に入っており、単なる流行語を超えて社会に影響を与えた言葉でした。

ドラッカーの著書が直接の由来ですが、彼の提唱した “Age of Discontinuity” が日本でここまで注目された背景には、日本語訳の巧みさ(「断絶の時代」というインパクトある言葉選び)や、翻訳出版タイミングが時代の空気に合致したことが挙げられます。

「断絶の時代」という言葉自体は、現在では歴史を語る際に「60年代末はまさに断絶の時代だった」と振り返るような使い方をされることがあります。しかしながら、流行語として人々が日常的に口にすることはほぼありません。どちらかと言えば知的用語として書籍名や論評で目にする程度です。ただ、その概念自体は現代にも通じるところがあり、平成から令和への激変期を「新たな断絶の時代」に例える論調も見かけます。そういう意味では、一過性の流行で終わらず半世紀を経ても色褪せない言葉とも言えるでしょう。

おわりに:昭和44年の流行語が残したもの

1969年(昭和44年)の流行語を振り返ると、テレビ・CM・映画といった大衆文化から生まれた言葉と、学生運動や社会の変革期から生まれた社会性の強い言葉とが混在していたことが分かります。高度成長期の明るさを映す「やったぜ、ベイビー」「Oh!モーレツ!」があれば、時代の変化を示す「断絶の時代」のようなキーワードもありました。これら流行語の多くは、時代の空気を反映して一世を風靡しましたが、その後の定着度合いは様々です。今なお日常語として残るもの(「悪ノリ」「ナンセンス」など)もあれば、完全に懐かしの死語となったもの(「タメゴロー」「はっぱふみふみ」など)もあります。

しかし、どの言葉も当時の人々に強い印象を与え、昭和44年という年を語る上で欠かせないエッセンスとなりました。月面着陸や学生運動に揺れた1969年という激動の一年を、これら流行語の断片から感じ取っていただければ幸いです。昭和の熱気とともに生まれた言葉の数々は、令和の現代に生きる私たちにも多くのことを教えてくれます。当時を知る人にとっては懐かしく、知らない世代にとっては新鮮に映る――そんな昭和44年の流行語たちを通じて、日本の歴史と文化の一端を楽しみながら学んでいただけたなら幸いです。

  • URLをコピーしました!