1974年(昭和49年)の流行語とその背景

1974年(昭和49年)は、日本社会が大きく揺れ動いた年でした。戦後初のマイナス経済成長に陥り(第一次オイルショックの影響)、物価高騰や資源不足に人々が直面しました。政治面では、田中角栄首相が金銭スキャンダルで辞任し、思いがけない人物が新首相に就任する波乱もありました。一方で超能力ブーム(スプーン曲げ現象)や人気漫画『ベルサイユのばら』のブーム、プロ野球界では長嶋茂雄選手の引退などの話題もあり、社会は混沌と熱気が同居していたのです。

こうした激動の中で、人々の口に上る流行語も数多く生まれました。政治経済から生まれた「金脈」や「晴天の霹靂」、世相を反映した「千載一遇」「節約は美徳」、超能力・オカルト現象から「超能力」、若者文化やスポーツから「巨人軍は永久に不滅です」「ストリーキング」など、多種多様な言葉が流行したのです​。

本記事では、昭和49年に流行語となった主な言葉・フレーズについて、その背景や由来、当時の社会との関連、そして現代で使われているかどうかを深掘り解説します。

「金脈」― 田中角栄の金脈問題から生まれた新たな意味

「金脈(きんみゃく)」は本来「地中の金鉱脈」を指す言葉ですが、1974年に全く別の意味で日本中の注目を集めました。それは田中角栄首相の財界との資金のつながりを暴いた「金脈問題」です。1974年、月刊誌『文藝春秋』に掲載された「田中角栄研究―その金脈と人脈」という記事で田中首相の巨額な資金源が暴露され、「金脈」という言葉に「資金源」「金づる」という新たな意味が付加されました。この金脈スキャンダルにより田中角栄首相は同年中に辞職に追い込まれ、戦後政治史に残る事件となったのです。

背景と社会的文脈

第一次オイルショック後の混乱期、日本では政治不信が高まっていました。高度成長を築いた田中角栄首相でしたが、その裏で政界と財界の癒着が噂されており、ついに「金脈」という形でそれが白日の下に晒されたのです。当時「金脈」はワイドショーや新聞の見出しを賑わせ、一種の流行語として人々が政治談義で口にする言葉となりました。

現代での使用状況

「金脈」は現在でも歴史用語として使われることがあります。特にこの金脈問題を指して使われる場合が多く、政治家の資金源スキャンダルの代名詞として定着しました。しかし日常会話で「金脈」という場合、多くはこの事件を思い起こさせる文脈で使われ、一般的に「資金源」を指すカジュアルな言葉としては用いられません。1974年当時に生まれた新しい意味は、現在では政治史に刻まれた言葉として残っています。

「晴天の霹靂」― 思いがけない政変に走った衝撃

「晴天の霹靂(せいてんのへきれき)」は「青天の霹靂」とも表記され、元々「突然の大事件や驚き」を意味する慣用句です。1974年、この古くからある言い回しが改めて脚光を浴びました。それは田中角栄退陣後の後任首相として、三木武夫氏が突然指名された出来事に由来します。金脈問題で田中首相が辞職した後、自民党内部では派閥の思惑が渦巻きましたが、調整の結果、派閥色の薄い三木氏が選出されました。この意外な人事に対し、当時の世間やマスコミは「まさに晴天の霹靂だ」と表現したのです。

背景と社会的文脈

「晴天の霹靂」は元来慣用句ですが、1974年の政変報道で繰り返し使われたことで、その年の流行語の一つとなりました。腐敗防止を掲げ「クリーン三木内閣」が誕生したことは、人々にとって予想外の出来事だったのです。驚きをもって迎えられた三木新首相の登場に、この言葉ほど的確な表現はありませんでした。

現代での使用状況

「晴天の霹靂」という表現自体は現在でも日常的に使われています。特に突然のニュースや予想外の事態に対して新聞見出しや会話で用いられるなど、慣用句として定着しています。2014年には青森県産のブランド米の名前にも「晴天の霹靂」が採用されるなど、言葉そのものは生き続けています。ただし、1974年当時の三木内閣誕生という文脈で使われることは歴史の話題以外では少なく、当時を知らない世代にとっては単に慣用句として認識されているでしょう。

「千載一遇のチャンス」― オイルショックを巡る皮肉な名言

「千載一遇(せんざいいちぐう)のチャンス」とは「千年に一度あるかないかの絶好の機会」という意味の表現です。本来はポジティブな意味合いで使われるこの言葉が、1974年前後には皮肉な流行語として人々の記憶に刻まれました。きっかけは第一次オイルショック下のある石油会社幹部の発言です。1973年末から続く石油危機で物資不足と価格高騰に見舞われる中、ゼネラル石油が社内通知で「石油ショックは利益を得ることができる千載一遇のチャンスだ」と通達したことが明るみに出たのです。生活必需品の買い占めや便乗値上げが問題になる中で飛び出したこの発言に、世間は強い批判を浴びせました。

言葉が流行した背景

消費者がトイレットペーパーの買いだめに走り、庶民が節約を余儀なくされていたオイルショック期に、「千載一遇のチャンス」という社内文書が暴露されたことは大きな衝撃でした。ニュースや週刊誌はこのフレーズを繰り返し取り上げ、企業のモラル欠如を非難しました。その結果「千載一遇」は1974年を代表する流行語の一つとなり、皮肉交じりに語られる場面も増えました。

現代での使われ方

現在でも「千載一遇のチャンス」は日常的に使われる表現ですが、多くの場合は本来のポジティブな意味で用いられています。「これを逃せば次はない絶好の機会だ」という肯定的な文脈で使われることがほとんどです。ただし年配の方の中には、この言葉を耳にすると当時の石油会社の逸話を思い出す人もいるかもしれません。当時流行語になった背景を知らなくても意味が通じるため、表現自体は現在も生き続けています。

「節約は美徳」― 省エネ時代の合言葉

1974年は人々の消費行動に大きな変化が見られた年でもあります。前年のオイルショックを機に、社会全体で省エネルギーと節約が合言葉となりました。そこで生まれた流行語が「節約は美徳」です。文字通り「倹約することは徳である」という価値観を端的に表したフレーズで、雑誌や新聞、テレビ番組などで繰り返し語られました。エネルギー危機を背景に、贅沢や浪費を戒めるこの言葉に多くの人が共感したのです。

流行した背景

高度成長期の終焉を迎え、日本人はそれまでの大量消費・大量生産の生活様式を見直す必要に迫られました。ガソリンや電力の節約が呼びかけられ、家庭では節電・節水が推奨されました。そんな中、「節約は美徳だ」というフレーズは家庭の主婦層から企業の経営者まで幅広く受け入れられ、1974年の世相を象徴する言葉となりました​。実際、この年の流行語ランキングでも上位に挙がるほど認知された言葉でした​。

現代での使用状況

現在でも節約志向は根強く、「節約は美徳」という考え方自体は受け継がれています。ただ、このフレーズ自体をキャッチコピーのように使うことは少なくなりました。どちらかと言えば1970年代の風潮を示す懐かしい言い回しとして語られることが多いでしょう。しかしエコブームや不況の際には似たような価値観が見直されるため、「節約は美徳」という言葉に込められた精神は今も生きていると言えます。

「超能力」ブーム ― ユリ・ゲラーが巻き起こしたオカルト熱

1974年といえば、日本で超能力ブーム(オカルトブーム)が巻き起こった年としても知られます。イスラエル出身の超能力者ユリ・ゲラーが来日し、テレビ番組でスプーン曲げや念力による時計止めなどのパフォーマンスを披露すると、たちまち日本中が超能力の話題で持ちきりになりました。子供たちは家のスプーンを持ち出して真似をし、大人も超能力や心霊現象に関する書籍や雑誌に熱中しました。

言葉の由来と流行の背景

「超能力」という言葉自体は以前からSFやオカルト界隈で使われていましたが、1974年前後にメディアで頻繁に使われるようになり一般化しました。ユリ・ゲラーの来日以降、テレビでは超能力特集番組が組まれたり、雑誌『ムー』のようなオカルト専門誌の企画が盛り上がったりしました。「スプーン曲げ」や「念力」といった言葉もこの頃一般の人々に浸透しています。こうした社会現象により、「超能力」という言葉が子供から大人まで知るところとなり、流行語となったのです。

当時の出来事との関連性

超能力ブームの背景には、先述の経済不安や社会不安から来る現実逃避の側面もあったと言われます。不況や政治スキャンダルが相次ぐ中、人々は非日常的な不思議現象にロマンや娯楽を求めたのかもしれません。また、この年は五島勉氏の著書『ノストラダムスの大予言』がベストセラーとなり​、世紀末予言ブームも重なっていました。超能力やオカルトへの熱狂は、1970年代特有の世相だったと言えるでしょう。

現代での使われ方

「超能力」という言葉は今でも使われていますが、当時のような社会現象的ブームは去りました。現在では超能力はエンターテインメントやフィクションの題材として扱われることが多く、人々も超能力者の主張に対して懐疑的です。とはいえ、昨今のテレビ番組や漫画・アニメにも超能力テーマの作品は見られ、言葉自体は定着しています。当時流行した「スプーン曲げ」は昭和の懐かしい現象として語られることがあり、1974年の超能力ブームは今なお語り草です。

「巨人軍は永久に不滅です」― ミスター長嶋の名スピーチ

1974年は、日本プロ野球界にとっても一つの区切りとなる年でした。読売巨人軍の長嶋茂雄選手(背番号3番)が現役引退を表明し、10月14日に後楽園球場で盛大な引退試合が行われました。その引退セレモニーで長嶋選手がファンに向けて述べた言葉こそが「巨人軍は永久に不滅です」です。力強く語る長嶋選手の姿に、スタンドのファンは涙し、このフレーズは日本中の感動を呼びました。

背景とフレーズの由来

長嶋茂雄選手は「ミスタープロ野球」「ミスタージャイアンツ」と称される国民的スター選手でした。V9(巨人軍の9連覇)の立役者でもある長嶋選手の引退は、大きなニュースとなりました。その場で発せられた「巨人軍は永久に不滅です」という言葉には、「自分は引退しても巨人軍はこれからも永遠に不滅だ」という長嶋選手のチーム愛とファンへの感謝が込められていました。この名言は瞬く間に広まり、スポーツ紙の見出しやテレビニュースで繰り返し流されたのです。

社会的反響とその後

当時、このフレーズはスポーツに興味のない人でも知るほど話題になり、1974年を代表する流行語の一つとなりました。長嶋選手はその後も巨人軍の監督や終身名誉監督を務め、日本の野球界に影響を与え続けますが、「巨人軍は永久に不滅です」は彼の代名詞とも言える言葉として語り継がれています。今でも多くの人々の心に刻まれている名フレーズであり​、引退スピーチの名場面としてテレビで振り返られることも度々あります。

現代での使用状況

この言葉自体は特定の文脈(巨人軍・長嶋茂雄)に結びついた名言なので、日常会話で使われることはほとんどありません。しかし、スポーツの世界やファンの間では語り草となっており、巨人が優勝した時などに冗談めかして引用されることもあります。まさに語り継がれる伝説のフレーズとして、昭和49年の記憶とともに今なお生き続けていると言えるでしょう。

「ストリーキング」― 全裸で疾走、一瞬で消えた奇抜な流行

ストリーキング」とは、全裸で街中を疾走する奇抜な行為を指す言葉です。1974年前後に欧米で若者を中心に流行し、日本にもそのブームが上陸しました。英語の「streak(疾走する)」から派生した俗語で、洋書やニュースを通じて紹介されると、日本の好奇心旺盛な若者たちもこれを模倣します。1974年3月、沖縄の米軍基地内の高校で初のストリーキングが行われたのを皮切りに、広島市の繁華街や東京・六本木、銀座など各地で次々と出現しました​。極めつけは同年4月、後楽園球場のプロ野球巨人対中日戦のグラウンドに全裸の男性が乱入し、観客を騒然とさせた事件でしょう​。

背景と流行のピーク

ストリーキングがこれほど話題になった背景には、1970年代特有の若者文化があります。ヒッピー文化やフリーセックスの流れを汲んだ「裸で突飛な行動」によって体制側を驚かせる風潮が欧米で生まれ、それが日本にも伝わったのです。また、前年の欧米のニュースで第46回アカデミー賞授賞式(1974年4月)にストリーカー(全裸の乱入者)が登場した出来事も報じられ、日本でも「ストリーキング」という言葉が一気に広まりました。「自分もやってみよう」と過激なイタズラに走る若者が現れたのも無理はない状況だったと言えます。

現代での評価・使用

ストリーキングはあまりに突飛な行為であったため、ブームは一瞬で終息しました。社会的にも迷惑行為と見なされ、1974年の夏以降は日本でこの言葉を耳にする機会はほとんどなくなりました。現在では「ストリーキング」は昭和レトロな珍事件として語られる程度で、若い世代には通じない場合もあります(「昔そんな流行があった」という話題として出るくらいです)。実際、当時を知る人々の間でも「ストリーキング」という言葉は死語に近く、1970年代の一発屋的な流行語と言えるでしょう。

「…と日記には書いておこう」― シラケ世代の自嘲的フレーズ

…と日記には書いておこう」は、1974年に流行した少し風変わりなフレーズです。一見するとただの日常表現ですが、実はこの年に放送されたあるテレビCMの決めゼリフが由来です。CMの内容は定かではありませんが、何か出来事があった際に「そういうことにしておいて、日記に書いておこう」というような趣旨で使われ、実際には事実と異なる出来事をあたかも本当であるかのように日記に記す、というシニカルな意味合いを持っていました。

流行した背景

このフレーズが若者の間で受けたのは、当時の「シラケ世代」と呼ばれた空気と無関係ではありません。学生運動が下火になり、社会に対してどこか冷めた視線を持つ若者たちが増えていた1970年代半ば、物事に本気で熱中するのを格好悪いとする風潮がありました。そんな中で「…と日記には書いておこう」という投げやりで自嘲的な言葉は、まさにシラケた若者文化を象徴するものだったのです。「本当は違うけれど、とりあえずそういうことにしておこう」というニュアンスが、この短い一文に凝縮されています。

現代での使用状況

残念ながらと言うべきか、このフレーズは現代ではほとんど耳にしません。強いて言えば、当時を知る人が懐かしんで引用する程度で、完全に時代の流行語として消費された言葉です。当時のCMをリアルタイムで見ていた世代には通じますが、若い世代には意味が伝わりにくくなっています。ただ、「シラケ世代」を語る際のエピソードとして、この言葉が引き合いに出されることがあります。当時の空気感を知る手がかりとして、昭和49年の流行語リストにその名を留めていると言えるでしょう。

まとめ:1974年の言葉が映す時代

昭和49年(1974年)に流行した言葉の数々は、激動の時代を雄弁に物語っています。経済混乱や政治スキャンダルからは「金脈」「千載一遇」といった世相を風刺する言葉が生まれ、国民の戸惑いや怒りが表れました。逆にスポーツや芸能の世界からは「巨人軍は永久に不滅です」のような希望や感動を与える名言が生まれ、人々の心を支えました。また、「超能力」ブームやストリーキングのような現象は、不安な時代だからこそ生まれた一時の熱狂や息抜きだったのかもしれません。

こうした流行語の中には、現在でも使われ続けているものもあれば、その時代を切り取ったまま歴史の中に消えていったものもあります。1974年という一年を振り返るとき、当時流行した言葉を知ることは、その裏にある社会の空気や人々の心情を知る手がかりになります。当時を生きた人にとっては懐かしく、若い世代にとっては新鮮に映る昭和49年の流行語。ぜひこの機会に、昭和の時代が生み出した言葉の数々から、日本社会の歩みとエネルギーを感じ取ってみてください。

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